東京高等裁判所 昭和44年(ネ)2501号 判決 1971年5月27日
第一審被告(控訴人、被附帯控訴人) 日本建物株式会社
右代表者代表取締役 小川明郊
<ほか一名>
右両名訴訟代理人弁護士 岡崎秀太郎
第一審原告(被控訴人、附帯控訴人) 山崎捨吉
右訴訟代理人弁護士 碓井忠平
主文
一、原判決中第一審被告日本建物株式会社の敗訴部分を次のとおり変更する。
第一審被告日本建物株式会社は第一審原告に対し金六拾六万円及びこれに対する昭和四拾参年八月参拾日以降右完済に至るまでの年五分の割合による金員を支払え。
第一審原告のその余の請求を棄却する。
二、原判決中第一審被告高橋七郎の敗訴部分を取消す。
第一審原告の第一審被告高橋七郎に対する請求を棄却する。
三、第一審原告の附帯控訴を棄却する。
四、訴訟費用は第一、二審を通じ、第一審原告と第一審被告日本建物株式会社との間に生じた分はこれを二分し、その一を第一審原告の負担とし、その余を右第一審被告の負担とし、第一審原告と第一審被告高橋七郎との間に生じた分は第一審原告の負担とする。
事実
第一審被告代理人は「原判決中第一審被告ら敗訴部分を取消す。第一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。」との判決を求め、附帯控訴につき附帯控訴棄却の判決を求め、第一審原告代理人は、第一審被告らの控訴を棄却する、との判決を求め、附帯控訴につき「原判決中第一審原告の敗訴部分を取消す。第一審被告らは第一審原告に対し各自金一〇四万円及びこれに対する昭和四三年八月三〇日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも第一審被告らの負担とする。」との判決並びに第一審判決主文第一項(但し、第一審被告日本建物株式会社に関する部分を除く)及び当審判決につき仮執行の宣言を求めた。
当事者双方の事実上の主張及び証拠の関係は次に附加するほか原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。
(事実関係)
(第一審原告代理人の主張)
一 第一審原告が東京地方裁判所昭和三八年(ワ)第六〇四六号不動産所有権移転登記抹消登記手続請求事件及び同事件の控訴事件の成功報酬として、碓井忠平弁護士に金八四万円を支払うことを約したのは、本件不動産の当時の価格が金一二〇〇万円(一坪当金一二万円)であるから、右訴訟事件に勝訴したために第一審原告の受けた利益は金一二〇〇万円に相当する額であり、弁護士に支払うべき成功報酬としてはその七分に当る金八四万円が相当であるからである。よって右金八四万円から原判決で認容された金二〇万円を控除した残額金六四万円につきその支払を求める。
二、本訴損害賠償請求事件の着手金二〇万円は、株式会社日本建設協会(以下、訴外会社という)は本店が転々と変更された後第一審被告会社に吸収合併されるに至ったので、その経過、本店の所在及び訴外伊原こと大西宣行(以下「伊原」と略称する)の訴外会社における地位(訴外会社の登記簿においては取締役の登記において伊原の姓が「伊宗」と誤記されていた)の調査等に格段の手数を要したことをも斟酌すると妥当な額というべきである。よって右金二〇万円から原判決で認容された金一〇万円を控除した金一〇万円につきその支払を求める。また、同事件の成功報酬については、従来、第一審の分だけで金二〇万円と主張していたのを、第一審の分を金一〇万円に減縮し、新たに第二審(当審)の分として金一〇万円を追加し、合せて金二〇万円と訂正し、これから原判決で認容された金一〇万円を控除した残額金一〇万円につきその支払を求める。
三、第一審原告は、昭和三八年当時六一歳で、原判決添付物件目録記載の本件不動産を使用して新聞取次販売店を経営していたのであるが、もし本件不法行為により右不動産の所有権を喪失するようなことになれば、右営業の基盤を失ない、自己及び家族の生活は根底から覆えることになるため、本件不法行為によって被った第一審原告の精神上の苦痛は甚大であったので、加害者の不法行為の違法性が極めて強度であることをも勘案すると、慰藉料の額は原判決で認容された金三〇万円は少額に失し、さらに金二〇万円を加えた金五〇万円が相当である。よって右金二〇万円につきその支払を求める。
四、第一審被告高橋七郎の下記自白の撤回には異議がある。
(第一審被告ら代理人の主張)
一、第一審原告の右一ないし三の主張はこれを争う。
二、第一審被告高橋七郎は、原審において、同第一審被告が訴外会社の取締役として、訴外会社に代って伊原の職務遂行を監督する地位にあった事実を認める旨の自白をしたが、右自白は真実に反し、かつ、錯誤に基くものであるからこれを撤回し、右事実を否認する。
(証拠関係)≪省略≫
理由
(第一審被告会社に対する請求について)
一、当裁判所も伊原の行為が第一審原告に対する関係において不法行為を構成するものであり、第一審被告会社が伊原の使用者として伊原の右不法行為によって第一審原告が被った財産上の損害(本件の損害賠償請求事件につき要した弁護士費用を除く)を賠償する責任を負うものと判断するが、その理由は、原判決の理由中のこの点に関する説明(原判決理由一、伊原の不法行為及び二、被告会社の責任と題する部分)と同一であるから右説明を引用する。≪証拠判断省略≫
二、よって、第一審原告の被った損害の額について判断する。≪証拠省略≫を総合すれば、第一審原告が、昭和三八年本件不動産についてなされた訴外国津実名義の所有権移転登記の抹消請求その他本件不動産に関する第一審原告主張の下記事件、すなわち、(1)東京地方裁判所昭和三八年(ヨ)第三〇七二号不動産処分禁止仮処分命令申請事件、(2)右(1)事件の仮処分異議事件(東京地方裁判所昭和三八年(モ)第一四、五七三号)、(3)右(2)事件の控訴事件(東京高等裁判所昭和三九年(ネ)第五四五号)、(4)右(1)ないし(3)の仮処分事件の本案訴訟たる東京地方裁判所昭和三八年(ワ)第六、〇四六号所有権移転登記抹消請求事件、(5)右(4)事件の控訴事件(東京高等裁判所昭和四〇年(ネ)第二、一三八号)、東京地方裁判所昭和四〇年(モ)第二一、八六七号土地強制執行(強制競売)停止決定申請事件及び(7)右(6)事件の本案訴訟たる東京地方裁判所昭和四〇年(ワ)第一〇、六三〇号第三者異議事件以上計七件を、弁護士碓井忠平に委任、処理せしめていずれも第一審原告の勝訴に帰したこと及び第一審原告が、これらの事件の処理を委任するにあたり、その主張のとおり報酬等として合計金一八四万円を碓井弁護士に支払うべきことを約し、同額の債務を負担するに至ったこと、以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足る資料はない。そこで、本件不動産の昭和三八年当時における価額について検討するに、原審及び当審における第一審原告本人尋問の結果中には、その時価が土地のみでも一、二〇〇万円以上である旨の供述部分があるけれども、右供述部分はこれを裏づける的確な資料がないので右供述だけで本件不動産の時価が一、二〇〇万円であると断定することはできない。しかし、さきにみたように、国津実は昭和三八年三月八日頃本件不動産を担保に金六〇〇万円を訴外三幸建設株式会社に貸つけているところ、一般に金融業者が不動産を担保に金員を貸しつけるときには担保物件の時価の八割以下位しか貸しつけないのが通例であることが顕著であるから、右の事実に第一審原告の前記供述や弁論の全趣旨をも参酌すると、その時価は金八〇〇万円を下らなかったものとみるのが相当である。しかして、碓井弁護士が第一東京弁護士会の会員であることは弁論の全趣旨に徴して明らかであるところ、≪証拠省略≫によれば第一審原告が碓井弁護士に支払を約した報酬等の額は第一東京弁護士会の定める弁護士報酬規則所定の標準額を超えないものであることが窺われる。
ところで、前示(1)ないし(7)の事件は、いずれも複雑で弁護士に委任しなければ権利の擁護が難かしく、また、同種事件はその処理を弁護士に委任するのが一般の例である。しかしながら、一般的にいって、権利侵害の被害者が、侵害排除のために弁護士に委任して訴訟行為をさせた場合における弁護士費用は、被害者が現に支払い、又は支払うことを約定したその全額が無条件に権利侵害による損害としてこれが賠償を請求し得るものではなく、事案の難易、請求額その他諸般の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内のものに限り、当該不法行為と相当因果関係に立つ損害としてその支払を請求することができるものと解するのが相当である。そこでこれを本件についてみるに、前示事件は本件不動産に対する侵害を排除するための一連の事件であって、その事実関係も証拠も殆んど共通と考えられること、本件不動産の価格その他諸般の事情を斟酌するときは第一審被告会社が賠償すべき金額は、原判決が認定したとおり合計金六六万円をもって相当とし、その内訳も、原判決認定のとおり、前示(1)の事件の報酬が金三万円、(2)の事件の報酬が金一〇万円、(3)の事件の報酬が金七万円、(4)及び(5)の事件の着手金と謝金がそれぞれ金二〇万円宛、また、(6)及び(7)の事件の報酬が各金三万円であるとするのが相当である。
次に、第一審原告の請求にかかる本件損害賠償事件の原審及び当審における着手金及び謝金について判断するに、権利侵害が行われた場合にその侵害を排除するために必要な弁護士費用は、先に説明したとおり、当該の不法行為と相当因果関係に立つものに限りその不法行為によって生じた損害としてこれが賠償を請求することが認められるけれども、本件の請求は実質的には右の弁護士費用の取立を目的とした訴訟の委任にともなう着手金ないし報酬の支払を求めるものであって、問題となっている権利侵害が行われなかったならば、本件の訴訟を提起する必要はなく、したがってまた弁護士に対する着手金や報酬を支払う必要も生じなかったであろうという意味においては右の権利侵害と無関係であるとはいうことができないとしても、これらの着手金や報酬の支払又はその約定と当初の権利侵害との関係は間接的であって、これをもって権利侵害行為と相当因果関係にある損害とはいい得ないものと解するのが相当である。さればこの点に関する第一審原告の請求は排斥を免れない。
三、次に第一審原告の慰藉料の請求について判断する。おもうに、本件のような不法行為によって権利を侵害された被害者は多かれ少かれ精神上の苦痛を被ることが推測されるけれども、その侵害が排除されるか、又はよって被った財産上の損害が賠償されるときは、それによって同時に被害者の精神上の苦痛も慰藉されるのが普通であるから、財産権の侵害に基づく精神的損害の賠償すなわち慰藉料を請求し得るためには、侵害された財産権が当該被害者にとって特別の精神的価値を有し、そのため、単に侵害の排除又は財産上の損害の賠償だけでは到底償い難い程の甚大な精神的苦痛を被ったと認めるべき特段の事情がなければならないものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、本件不動産がその所有者である第一審原告にとって、右のような特別の精神的な価値を有し、これを侵害されたことによって第一審原告が侵害の排除及び前示弁護士費用の賠償だけでは償い得ない程の甚大な精神的苦痛を被ったことを認めしめる資料はないので、第一審原告の慰藉料の請求は排斥を免れない。
四、以上の次第で、第一審被告会社は第一審原告に対し、金六六万円及びこれに対する弁済期後である昭和四三年八月三〇日以降完済に至るまでの年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるが、第一審原告の第一審被告に対する請求のうち右の限度を超える部分は失当たるを免れない。(第一審被告高橋七郎に対する請求について)
伊原が訴外会社に勤務していた当時、第一審被告高橋七郎が同会社の代表取締役に就任していたことは当事者間に争いがない。ところで、民法第七一五条第二項にいう代理監督者とは、単に名目だけではなく、現実に使用者に代って事業の執行を監督する地位にある者を指称するものと解するのを相当とするところ、第一審被告高橋七郎は、原審において、同被告が伊原の事業の執行を監督する地位にあったとの第一審原告の主張事実を認めたが、当審において、右自白を撤回して右事実を否認しているので、まず、右自白の撤回の効力について検討する。
≪証拠省略≫を総合すれば、訴外会社の実体は訴外玉井真吾こと姜仁和が掌理主宰する株式会社であって、第一審被告高橋は代表取締役とはいうものの、これは名目だけに過ぎず、実際においては業務執行に関する権限は挙げて姜が掌握し、同被告は単に、契約書その他の文書の作成その他庶務的事務のみを担当し、第三者との契約締結その他対外的な関係についても単に形式的、手続的な面だけを処理するにとどまり、伊原の担当する営業部門の業務を直接監督する立場にはなかったものと認められる。右の事実に徴すれば、第一審被告高橋は、現実に使用者に代って事業を監督する地位にはなかったものといわざるを得ない。されば第一審被告高橋のなした前示自白は、真実に反するものであり、かつ、錯誤に基づいてなされたものとみるのが相当であるから、右自白の撤回は有効であるといわなければならない。
しかして、右に説示したとおり、第一審被告高橋が民法第七一五条第二項にいう使用者に代って事業を監督する者に該当するとなし難い以上、これを前提とする第一審原告の同被告に対する本訴請求は他の争点について判断を加えるまでもなく排斥を免れない。
(結論)
以上の次第で、本訴請求のうち第一審被告会社に対する部分は、前記の限度で正当であるがその余は失当であり、また、第一審被告高橋に対する部分はすべて失当であるから、これと結論を異にする原判決は変更を免れない。
よって、原判決中第一審被告会社敗訴部分を変更し、第一審被告高橋七郎の敗訴部分を取消すべく、また、第一審原告の附帯控訴はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条及び第九二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 平賀健太 裁判官 石田實 裁判官麻上正信は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 平賀健太)